グラグラグラッッッ・・・
朝の8時少し前。
タダならぬ揺れに身の危険を感じて、安全な場所へ移動しました。
しかし、揺れはすぐに止まり、やれやれと部屋の中を見ると大変な状態に…
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机横の棚の本は、倒れて中の本がどっさりと机の上に散らばり、冷蔵庫の扉が開いて、中のものが飛び出しておりました。
一番悲惨だったのが、パソコンの棚の上に置いた神棚の水が垂れて、パソコンや無線LAN、DVD機器などの電子機器がずぶ濡れの状態になったこと。
大丈夫か?と機械に声をかけながら救出し、ひとつひとつ水を拭き取りました。
子どもの机の上も酷い状態になっているし、
台所の棚もズレて雪崩れ落ち、鍋で支えられた棚がかろうじて保たれている状態。
流台の上の棚を開けたら、食器が落下。お陀仏かと諦めたらギリギリ壊れないで済みました。
わが家の損害額5万円くらいでしょうか?
家族全員、命が助かったので良かったです。
主人は、電車の中に閉じ込められた状態になり、しばらく動く様子がないから歩いて帰宅。自宅待機だそう。
子どもの通う学校からは何の連絡も無く、心配でしたが、様子を見に行ったら何事も無かったかのように授業をしていました。
そして、東日本大震災の記憶が蘇ってきました。
当時は、千葉に住んでおり、私は大揺れに揺れる部屋の中で「終わった」と死を覚悟したほど恐ろしい体験をしました。
主人は、帰宅難民となり、都心から5~6時間くらいかけて歩いて夜中に帰ってきました。
当時6歳だった子どもは、保育園でお昼寝中で、地震があったことが分からなかったそう。あれだけ揺れたのに。
お昼寝から目覚めて、先生たちの様子を見て「何が起きたのだろう?」と思ったらしいです。
東北にある実家の両親と一週間くらい連絡が取れず、テレビから延々と流れる津波の様子に、しばらく眠れない日々が続きました。
更に、原発の地震による破壊。
水道水から放射性物質が検出。
5分ほどの揺れで、世界は一変しました。
「安全です」
「心配ありません」
「ただちに健康被害は無い」
白々しい、枝野氏によるアナウンス報道。
日本政治は私たちの方を見ていない。
そう確信。目が覚めた瞬間でもありました。
私は未だに日本政府を信じておりませんし、生涯信じることは無いでしょう。
日本政府は、米国を中心とする多国籍企業の支配下にあると思っております。残念ながらその程度なのです。
マスコミと政府は、その多国籍企業の支部であり広報機関でしかないのですね。
こう言っちゃうと、もともこもないですが。
自分たちの生活や命は自分たちで守るしかありません。
話がそれましたが、地震が来て、部屋がぐちゃぐちゃになったのを機会に、自分の一番大事なもの、使うものだけを周りに置いて、余計なものは捨ててしまおうと決意しました。
10年以上使っていない重箱も捨てます。
ものが少ないと片付けるのも楽ですからね。
近々起きるかもしれない余震に備えて。
追伸)
今回の震災で被害に遭われた方がのお見舞いを申し上げます。