昨年の6月から、大阪腑北部地震をきっかけに断捨離を始めて来ました。
防災と私物が置かれた物置部屋を子ども部屋に明け渡すというのが表向きの理由です。
しかし、いよいよ現実的になったある深刻な理由が他にあります。
それは、、、
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現実的になってきた、遠方に暮らす親の介護
今回、1週間ほど実家に滞在しました。
私は関西に住み、実家は東北にあります。帰省するには、飛行機と高速バスまたは新幹線を使って更に2時間ほど。トータル5時間以上かかってしまいます。
気楽に帰れる距離ではありません。
そのため、親の様子は電話のやり取りくらいでしか分からないのです。
「変わりないの?」
「元気でやっているの?」
と聞いても、いつも親から返ってくる答えは、
「何も変わりないから」
「元気だから」
しかし、これまで、この言葉に騙されてきました。「元気だ」と言いながら手術して入院していたことが何度かありました。
後から、「実はあの時・・・」と、聞かされます。
親にしてみたら、命に関わるような病気でもないのに、子どもに要らぬ心配をかけたくないと思っているかも知れませんが、子どもにしてみたら親の体調は把握しておきたいのです。
そうやって「若い若い」と思っていた親も、「老いているんだ」という現実をひしひしと感じ、心の準備を徐々に徐々に進めて行きたいのが子どもの本音です。
実際にどこまで親の老化が進行しているのか?ずっと気になっていました。
もしかしたら痴呆が始まっているのではないか?という不安もありました。
電話が鳴る度に、親の急変の知らせではないか?という心配が湧き上がり心臓が震えます。
ちなみに、両親の年齢は、父、75歳、母、72歳です。
Xデーまでカウントダウンが迫る、その予兆とは?
母は、おととし(2017年)、悪性リンパ腫を発症し抗がん剤治療を行いました。それ以来、体力が衰え思うように動けません。
今回の帰省でも、少し動くと「身体がしんどい」と訴えて横になりながら働いていました。
本来ならば、そのような母の体調を気遣って、父が動いてくれると良いのですが、家事一切どころか自分自身の身の回りのことなどやらない人ですから、母にばかり負担がかかります。
そのような父のことは、こちらの記事も紹介しております。⇒【実家の片づけ】断捨離が進まない最大の原因とは? - シンプルライフ物語
母がガンだと分かった当初は、おろおろして、母の世話をしたようですが、これまでやったことのない他人の身の回りのことなどできるわけもなく、余計に母をイライラさせていました。
それで、母が少し回復して家事をやり出したのを良いことに、父は何もやらない生活に戻ってしまいました。
そんな父にも老いは確実にやってきていました。
今回の帰省で驚いたのは、テレビの音量です。以前帰省したとき(4ヶ月前の8月)は、30くらいのボリュームでした。今回は32~33くらいのボリュームにアップ。
父は、その音量で一日中テレビをつけっぱなしにしています。私はあまりの音のうるささに、頭がガンガンしてきます。テレビの音を暴力に感じました。
更に、父は、夕方5時前からお風呂に入り、湯船にペットボトルに入れた酒を浮かべて、飲み始め、お風呂から上がっても飲み、夕飯の頃にはベロベロに酔っ払っていました。
「もう年だから、酒は止めてくれ」
「子どもに負担がかかるから、健康に気をつけてくれ」
と、懇願したところで「俺のたったひとつの楽しみだから」と聞く耳は持ちません。
祖父は、父の年齢の頃に脳梗塞で倒れて、そのまま介護状態になりました。父も、このまま不摂生が続けば、いつ祖父と同じ状況になってもおかしくないのです。
父が倒れて、母が介護する、またはその逆の状況になれば、老老介護の始まりです。
弟もいますが、仕事をしていますから、当てにできません。
そうなると、私が単身、実家に戻り親の介護をする必要が出てきます。
そのXデーを迎えるまでに、私の身の回りのものを断捨離して身軽にしておきたいのです。
最後まで親不孝で終わりたくない、私の気持ち
親の若い頃は、「介護状態になったら老人ホームに行くから」と強がって、子どもを当てにするつもりはサラサラないという感じでした。
ところが、年々、親も年老いて、心細くなったのか「老人ホームに行く」ということを言わなくなりました。
金銭的にも24時間介護してもらう余裕などないというのにも気づいたのかも知れません。
私も今になって、親の近くに嫁いでおけば良かったと後悔しています。
嫁ぎ先以外にも、散々親の期待を裏切り、親不孝してきました。この先も親を見放し、弟とヘルパーさんなどに介護を押しつけて逃げる道もあります。
しかし、物理的に逃げられても、気持は逃げられません。
今でも、老老介護の末に起きた痛ましい事件や孤独死のまま放置されていたニュースなどを見る度に実家の両親と重ね合わせてしまいます。
だったら、目の前で老いてゆく親の姿を見届けながら最後まで面倒を見る方が精神的に楽かも知れないのではないのかと思っております。
親の介護は並々ならぬ大変さがあると思いますが、悲観せず、前向きに取り組んで行けたら良いなと思っています。
そうすれば、何があっても後悔せずに生きていけますから。
だから、親の介護は、親のためでもあるし、私自身のためでもあります。
その先も、晴れ晴れしく、堂々と生きていくために。
断捨離を急がねば…