実家の片づけの順番として、まずは自分のものから片づけています。
先日は押し入れの一角を14年くらい占領していた洋服を断捨離しました。
本日は、おもちゃです。
おもちゃといっても、子どものおもちゃばかりではありません。私が子供の頃遊んだおもちゃもあったのです。
おもちゃの断捨離は、思い出のエネルギーがハンパなく押し寄せて心が痛みますね。
まずは、床の間に無造作に置かれたおもちゃをご覧下さい。
【スポンサードリンク】
アンパンマンのおもちゃは、私のいとこの子どもたちが使っていたものをお譲りしてもらいました。20年以上前に購入したものだと思われます。
レジのおもちゃで、チーン、チーンと鳴って煩いですが、アンパンマンが何度もしゃべる声に子どもは喜んで遊んでいました。
このボールは、お風呂に入るときに湯船に浮かべていたもの。
子どもが2歳頃までお風呂に入る時一緒に遊んでいました。
おもちゃではありませんが、椅子。
座敷のテーブルが子どもにとっては高い位置にあったため、私の親が椅子を買ってくれました。この椅子にちょこんと座って、絵を描いたり、食事したりしているあの頃が本当に懐かしくなってしまいました。
あの頃は祖母もまで生きていて、座敷で遊ぶ子どものおもりをしてくれていました。その光景がフラッシュバックしてくて思考と行動が停止しそうです。
更に、床の間の下の収納部分を開けてみると、
ピアノが出てきました。
このピアノは私が確か1~2歳頃からあったはず。祖父母や両親の前で、ピアノを叩いて歌い、注目を集めて得意がっていました。
ピアノは、祖母と私が寝ていた場所にいつも置かれていたため、今は亡き祖母の姿と重なってしまい余計に懐かしくなってしまいました。
実家にあるおもちゃは、思い出がべったりと絡みついている
アンパンマンのおもちゃやピアノのおもちゃは、見た目は本当にタダのガラクタです。
風水の詳しい人から見たら、こんなものをたいそうに取っておくのは、マイナスエネルギーを呼び込むだけだから「一刻も早く捨てなさい」と言うかも知れません。
しかし、こんなガラクタでも、私や家族の思い出がべったりと絡みついているのです。
これらのガラクタは、遠い過去の記憶を刺激し、もう戻らない過去とをつなぐ接点でもあるのです。
この気持ちは、失恋を引きずっている感覚に近いかも知れません。いや、失恋以上にもっと深いもの。。。
子宮に包まれたいた頃の感覚かもしれません。
ガラクタのおもちゃたちは、過去への憐憫という底なし沼のような感情を呼び起こします。そして、その感情に足をすくわれて、おぼれそうになってしまいました。
実家そのものが、私にとって子宮だったかもしれない
ガラクタのおもちゃを通して、改めて私は自分の実家が私にとって子宮のようなものだったと気付きました。
家族の愛情に包まれて育ったお陰で、その後の私の人生にどれだけ支えになったのか。
辛いとき、苦しいとき、逃げ出したくなるほど落ち込んだとき。
そんなとき、心に浮かぶのは、実家での思い出でした。
家族の姿がボロボロになった私の心の支えになって、いつも助けてくれました。
思い出とはすなわち、「愛情に包まれた記憶」なのかもしれません。
ガラクタのおもちゃたちを捨ててしまうと、その大事な思い出すらも消滅してしまうのでははいのか?という恐怖が実はあります。
この恐怖を捨て、次に進むことが大事なのに、ガラクタのおもちゃを目の前にして、ただただ立ちすくんでおりました。
本当に大事なものならば、磨いて大事に扱ってあげてもよかったのに。
そして、私を大事にしてくれた人たちに、素直に「ありがとう」ってたくさん言っても良いはずなのに。
素直になれない私のプライドこそ断捨離すべきではないかと改めて思ったのでした。