こんまり流の片づけ祭りのまっただ中です。
ようやく本日、小物の片づけの中の趣味のものの片づけまで進みました。
私の趣味は…
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「裁縫」でした。
洋服を作るのが大好きで、1日1着作っていた時期もありました。
1ヶ月に数回はユザワヤに行って、一日中店内を見て回り、生地やボタンなどを揃え帰るのが楽しみで、一日中ミシンの前に作業するのが喜びでした。
ジャケット、ブラウス、ワンピース、スーツ、ズボン、コートまで作っていました。
作ったものは、徐々に捨てていき、今ではコート2枚とブラウス2枚くらい残っているくらいです。
裁縫を突然辞めたのは子どもが生まれたからです。
そしてその後、ミシンが壊れてしまいました。
ミシンを捨て、新しいミシンを買ってまで洋服を作るモチベーションは既になく、裁縫道具の断捨離もやってしまわねばと思っておりました。
購入した生地も随分捨てたのですが、未だに残っているのがこれくらい。
小学校の頃に購入した裁縫箱を未だに持っていますが、
手入れをしていないのでとても汚い状態です。
全てを出してみるとこんな状態です。
ここで真っ先に断捨離すべきものは、大量にあるミシンの糸です。
そもそもミシンが無いのですがらミシンの糸を持っていたところで使いようが無いからです。
しかし、どうしても私はこのミシンの糸が断捨離できません。
その理由は、祖母からもらったものだからです。
私の祖母は、10年ほど前に他界しました。
とても優しい人で大好きでした。
そんな祖母が、私が出産で里帰りしていたときに、自分が所有していた糸を私にくれました。
それから数年して祖母が亡くなり、もらった糸は形見になってしまいました。
「使わないから捨てる、断捨離する」
という理屈はよく分かります。
しかし、私はこの糸に「ときめく」のです。
この糸を通じて、祖母が背中を丸めて、小さい針の穴に一生懸命糸を通し、ザクザクと縫っていた祖母の存在の残り香、祖母の生きた証がこの糸から伝わってくるのです。
こういう思考は断捨離に向きませんね。
いつまで経ってもものは減らないし、片づかないかも知れません。
それでも、私が生きてきた中で祖母と過ごした時間とその記憶が私の人生の中で勇気を与えてくているのです。
この糸を通して。
「糸が無くなっても祖母との記憶は消えない」、という考えもあるかもしれませんが、今はこの糸を通じて祖母とまだつながっていたいのです。
最終的に捨てたものはこちら。
残したものはこちらです。
まだ、しばらく祖母の温もりを感じていたい、片付けでした。