「しつけ」ってどのようなイメージがあるでしょうか?
私は、父には暴力と命令で、母にはヒステリーで完全に家庭内スパルタ教育体制で育っため、「しつけ」に対して良いイメージがありませんでした。
そのため、自分の子どもには、ほとんど「しつけ」というものをせず、放任主義で育ててしまいました。
結果、中学生になった子どもは、どうなったかというと、
- 生活全般でだらしなく、自己主張だけ一人前
- 無責任で、自分自身の目の前の欲望をコントロールできない
困った子になってしまいました。
そんな子どもを見て、私はイライラ。子どもの気配を感じるだけで怒りが沸き起こってくると言う最悪の状態に。
今年に入り、子どもへの怒りの断捨離を頑張っていますが、それと同時に子どもの「しつけ」について改めて考え直しています。
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「しつけ」に失敗した子どもへの怒りの源泉とは?
私は、暴力やヒステリーで育てられたため、昔は親をかなり恨んでいました。とても苦しんだ時もありました。それでもなぜか、両親を嫌うということはなく、むしろ「好き」なのです。
父親は、隣近所の人たちや親戚から見たらかなり変な人で嫌われていますが、私は不思議と憎めません。
両親には、恨んでいるけど、憎めない、そしてむしろ「好き」という複雑な感情を抱えて思春期を過ごしました。そして年を追うごとに過去の記憶は薄れ、両親から受けた暴力やヒステリーはどうでも良くなっていました。
しかし、今年に入り、気づいてしまったのです。
私は、子どもに怒りを感じているようで、実は両親に対する怒りがまだ癒やされていなかったことに。
表面上は両親を許していても、心の奥底では許していなかったのです。その怒りが、子どもへ向けられていたというから恐ろしい…
そもそも、子どもの「しつけ」の本質とは?
そもそも「しつけ」とは何だろ?と改めて色んな本を読んで調べてみて、しっくりいったのは、
- 「しつけ」とは、子どもが自分自身を律するために親が、手助けしてあげること。
- 子どもが自立して、生きていくために、自分自身をコントロールする力をつけてあげること
- 一人前の大人になるための「心」を育てること
これが、どうやら親が行う「しつけ」の本質のようです。
私がこれまで「しつけ」に抱いていたイメージとは全く違いました。私をしつけた両親も、そこまで考えて「しつけ」をしてこなかったと思います。
中学生からしつけをやり直すのは手遅れか?
「しつけ」に関する本を探すと、2歳くらいから行うものは、たくさんありました。
*上記の画像の本は、「子どもの心を育てるしつけ」という点でとても参考になりました。
イヤイヤが始まる頃から、子どもの心に寄り添い、子ども自身の葛藤に親が一緒に向きあっていくのが理想だったかもしれません。
その時期を全てスルーして「しつけ」を怠ってきた私の罪は大きいです。
中学生からの「しつけ」の本となると、なかなかありませんでしたが、上記の本と同じ著者が書いた「10代の子どもの心のコーチングー思春期の子をもつ親がすべきこと」という本には、まだ私ができることがありました。
10代の子どもの心のコーチング―思春期の子をもつ親がすべきこと (PHP文庫)
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それには、私自身も再教育しなおす必要もありそうです。
覚悟も必要です。
気づいてしまったのが遅かったけれど、今できることを最大限にやり尽くしておこうと決めました。
それが、両親への怒りの断捨離にもなるのなら。
怒りの断捨離についてはこちらの記事に書いております。⇒禅の心に学ぶ怒りの断捨離とは? - シンプルライフ物語