数カ月前、食器の断捨離をやましたひでこさんとこんまりさんの片づけのやり方で行いました。
その結果、わが家と私の問題が浮かび上がり、食器ひとつから暮らし方全般の見直しをすることに。
わが家の問題点とは?
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食器の断捨離の方法とは?
食器の断捨離のやり方は、こんまりさんとやましたさん、基本はどちらも同じですが、「残すもの」に対する基準が少し違います。
こんまりさん流だと
全部出し→ときめくものを残す(こんまりさん流)→収納する
やましたひでこさん流だと
全部出し→収納する「要適快」で選ぶ(やましたさん)→収納する
やましたさんの「要適快」とは、自分にとって「必要・最適・快適」かの視点で選ぶことです。
ときめくもの、または自分自身にとって「要適快」を基準に、捨てるものと残すものを分けて収納しました。
食器を全部出して気づいたわが家の問題点
食器全部を出して気づいたのは、
- もらい物が多い
- チープなものばかり
という2点です。
もらった食器が多い
食器のほとんどがもらい物です。
いつ、誰がどこからもらったのか分からないようなものばかりありました。
更に、100均一で購入した皿やコップなども多数占めていました。
元々、食器に対するこだわりがなく、極端な話、給食セットのようなプラスチックかアルミ製の食器が家族分だけあれば、割れないし、長持ちして経済的だと考えていたのです。
チープな食器ばかり
そんな考え方をしていましたから、わが家には、チープな食器しかありませんでした。
唯一、高い食器と言えば陶芸作家さんが作った7千円くらいの器。
この器を購入したのは、ちょうど料理を習っていたときでした。
「作った料理をこだわりの器で食卓に出したい」という考えが一瞬だけ頭をよぎり、奮発して購入しました。
しかし、その後の月末。生活費が足りなくなり、身の丈に合わない高い器を購入したことを激しく後悔。
結局、安い食器を購入するという元のサイクルに戻ってしまっていました。
食器に回せるだけのお金が無いとうのが言い訳です。
「捨てる」食器を元に戻した夫
食器の断捨離では、「使いやすい食器」を残し、後は「捨てる」ために、ゴミの収集日まで他の場所に保管しておきました。
数日後、その「捨てる食器」をめざとく見つけた主人は、
「これ、いつも使っていたよ」
「まだ使えるから、捨てない方が良い」
「無かったら不便だから取っておこう」
と言って、捨てるはずだった食器を元に戻したのです。
この食器は100円均で10年以上前に買いました。
100円均の食器は、とても丈夫で滅多なことで割れません。
ホンネでは「使いたくないな…」と思っていましたが、渋々使っていたものです。
一度「捨てよう」と決心した食器をまた使うとなると非常にテンションが下がります。
その食器は、食器棚には戻さず、こっそり捨てようと決めました。
ふだん暮らしこそ、おもてなし
山本ふみこさんのエッセイで、
新婚当時、義理のお母さんと食器選びをしたエピソードがありました。
3万円の漆塗りのお椀を見つけたとき、
山本さんは
「ふだん使いだからもったいない」
と思ったのに対し、
義理のお母さんは、
「ふだん使うものだから良いものを」
と言い、その言葉に衝撃を受け、
ふだん使うものこそ、良いものを使っていきたい
という価値観になっていかれたようです。
私も、このエピソードを読んだときは凄く驚きました。
それ以来、「ふだん使うものこそ、良いものを使おう」という価値観にシフトしていったはずですが、やはり、優先されるのは経済的なもの。
基準がどうしても「お金」になっておりました。
しかし、食器の断捨離でわが家の食器を俯瞰して分かったのは、チープなものを選んできた末、チープなものから逃れられない生活を送り、チープなものを選ぶことで、ふだんの暮らしを粗末にしていたのです。
食器はその人自身の「器」を表す
空間心理カウンセラーの伊藤勇司氏によると、
毎日使っている食器は、その人のセルフイメージ、あるいは「自分はこんな人間だ」という意識が映し出されていることが多い
ということです。
また、
「器」に意識をむけることは、自分という「器」に意識をむけることに通じる
更に
食器への愛着は、生き方へのこだわりに通じる
ということ。
毎日使うものであり、しかも自分自身の身体に入るものを入れる「食器」に愛着がなく、安いもので間に合わせ、欠けた食器ですら平気で使う。
わが家は私を含めて、確かにセルフイメージが低く、生き方へのこだわりがない家族だったのでした。
食器へのこだわりから、ふだんの暮らしへのこだわり、そして生き方へのこだわりへとシフトしていこう
食器のこだわりは、生き方へのこだわりだったということに気づき、まずは食器のこだわりから始めようと考えております。
陶芸作家さんから奮発して購入した7千円の器ですが、6年ほど愛用して思うのは、「当時の選択は正しかった」ということです。
この器を購入したときに、作家さんから「どんな材料を使って、どのような工程でしかもどんな思いでその器を作ったのか」を直接聞くことができたので、安心して使い続けられたのも大きいかったと思います。
こだわりのお皿だからこそ、このお皿を使って出したお料理は、テンションが上がります。
ふだんの食事で使う「器」だけでも、暮らしは贅沢になるものだということを学びました。
ケチに徹していたら、こんな学びはなかったと思います。
当時の7千円は痛かったですが、コスパの高い勉強代になりました。
更に、今後はチープなものを買ってお金を無駄に使わず、こだわりあるものを、ふだんの暮らしに取り入れていこうと誓いました。
「ふだんの暮らしこそ、おもてなし」です。