ものがありすぎて困っているのに、私の中の「もっと欲しい」という気持ちは止まることを知りません。
冷静に考えて「ものを捨てられない」のが悩みだなんて、ものが不足していた時代に生活していた人たちから見たら、びっくりですよね。
ものが無くて困っていると言うのではなくて、ものがありすぎて困っている。そして「もっともっと欲しい」。心の飢餓状態と言うのでしょうか。
この気持ちを断捨離してシンプルに暮らすコツは、、、
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「もっと欲しい」を断捨離するコツ
際限の無い欲望を断捨離するコツは、
「自分自身が思い浮かべる豊かさを具体的にイメージして書き出してみること」
書き出した
「それらの言葉は、あなたが人生に求めるそのもの」
だと、「断捨離式エンディングノート」でやましたひでこさんは語っています。
そういえば私、「自分の中の豊かさについて」をあまり意識していませんでした。
そこで、私が心を満たしてくれる豊かさについて改めて掘り起こしてみました。
心が満たされる豊かさをリストアップしてみる
- たっぷりある独りの時間
- 心が通じ合う人たちと過ごす時間
- 瑞々しい野菜とほかほかのご飯を食べている時
- 好きな音楽を聴いている時
- 静寂な自然の中で過ごしている時
もう少し詳しくご説明します。
たっぷりある独りの時間
独りで静かにコーヒーでも飲みながら、誰にも邪魔されずに、静かに頭の中を整理したり、考えたり、黙々と何かに集中している時間に豊かさを感じています。3~7日くらい独りでいても大丈夫。もしかしたら1ヶ月とかでも行けるかもしれません。誰にも邪魔されず好きなように使える独りの時間に喜びを感じています。
心が通じ合う人たちと過ごす時間
独りの時間も好きですが、心が通じ合う人たちと過ごす時間も豊かに感じます。心で通じ合う気の合う仲間の存在があってこそ、独りの時間も充実します。
瑞々しい野菜とほかほかのご飯を食べている時
取れたての瑞々しい野菜とほかほかのご飯、そして味噌汁があったら私はとても幸せです。土地からの恵みを享受できる喜びは、もてなされ、生かされ、私という存在を丸ごと認められているような気持ちになります。
好きな音楽を聴いている時
好きな音楽を聴いて過ごす時間は、心にシャワーを浴びているような感じがします。音のシャワーによって、気持ちが時空を超えてワープするような感覚になります。
昔聴いた曲は、その過去に戻されますので、タイムマシーンのようなものですし、初めて聴く曲でも、気持ちを穏やかにしてくれたり軽やかにしてくれたり、不思議な作用を感じます。
静寂な自然の中で過ごしている時
青々とした木々が茂る森の中や、静かに流れる水の音。鳴り響く小鳥の声、頬を伝わる風。自然の中ほど心が安らぐ場所はありません。マイナスイオンを思う存分浴びて充電できる場所なのではないかと思っています。
このような場所と時間を得られていれば、私は「豊か」だなと感じているようです。
物欲が心の豊かさを邪魔する
「もっともっと欲しい」と思っている時、自分の心が本当に求めている「豊かさ」について忘れていました。
新しい情報やものの存在に刺激されて、取りあえず手に入れて見ては、また新しい情報やものを手に入れる、という繰り返し。これでは、いくらものがあっても豊かさは感じられませんよね。
ものは、表面的な欲望を満たすけれども、深く求めているものは満たしてくれない。それどころか、本当に欲しいものを曇らせているのではないか?とすら思ってしまいました。
断捨離で心が豊かに!⇒断捨離でゆとり生活
心を満たす訓練が必要なのかもしれない
私が本当に求めているものに焦点を当てて、過ごしていれば、新しい情報やものが出てきても「もっと欲しい」という気持ちから一歩引いたところから冷静に見れるのかもしれません。
欲望を刺激されることに慣らされてしまった現代人にとって、一定期間訓練が必要なのかもしれませんね。
あなたの求めている心の豊かさは、何ですか?
一度リストアップしてみませんか?