シンプルライフ物語

子育てと自分育て家事、断捨離、片付け、ミニマリスト、宝塚などについてシンプルラフまでの道を綴ります

禅の心に学ぶ怒りの断捨離とは?

最近、イライラしています。
原因はほとんどが子ども。スマホやPCをダラダラ何時間もやって時間を無駄に使い、自分のならなくちゃ行けないことから逃げています。
その姿を見ると本当にイラつくのです。
今年の4月から中三です。いよいよ受験生です。このままでは、下の方の学校にすら入れません。
なのに、本人の志望校は凄く上の学校。三者面談で担任の先生も「ぷっ」吹き出すほど、うちの子の実力では手が届きません。

その学校に行くならば必死で勉強しなくちゃ行けないのに、本人の口から出るのは、

「今からやっても遅い」

完全に逃げています。

そんな子どもの姿勢に腹が立つのです。毎日カッカしてイラついている自分も嫌になっていました。

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怒りはなぜ起きるのか?

「怒らない禅の作法」桝野俊明氏によると、


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怒りは、私たちが「考える」から生まれるのです

その仕組みは、

私たち人間は、自分が受けた行為や言葉をいったん体で受け止めた後、頭へ持って行きます。いわゆる「頭に来る」という状態です。
「こいつ、何と言ってやりこめようか」「目に物見せてやる」。頭に血が上って、そう考えてしまうのです。

子どもがムダに時間を過ごすのは、誰に害を与えているわけでもありません。
その行動に対して、私は要らぬ心配をしてしまいます。

「このまま行ったら、、高校すら行けないんじゃないか?」
「頑張る時期に頑張らないと、仕事の選択肢が狭まって、将来苦労するのではないのか?」
「働くところがなくなって、良からぬ道へ踏み込んでしまうのではないか?」
「このまま、負け犬根性で良いのか?」

こんな考えがよぎると、目の前の子どもに対してイライラします。文句のひとつも言いたくなります。小言を言うと、逆に反発を食らいます。
そして、更に怒りはヒートアップ。「こんな子、要らない」とまで言っている自分がいました。

完全にアウトですね。母親失格です。

確かに、ムダに考えてしまうことが、怒りを引き起こしていました。将来のことなど、今から心配してどうなるという気持もありますが、やっぱり、ムダに時間を使う姿を見るとイライラしてしまうのですね。

怒りが起きたら丹田で深呼吸する

そのような、怒りが起きた場合、「怒らない禅の作法」では、丹田で深呼吸することをすすめています。

「あ、自分は今怒っているな」「カッカしているな」と気づいたら、丹田(おへその下二寸五分、約7,5センチ)で大きくひとつ深呼吸。その後は、無理に感情を抑えず、なすがままにしておきます(略)

何をすればいいか。目の前のことに集中すればいいのです。(略)

今あなたの目の前にあることを、ただ無心に、ただひたすらやる(略)

手を動かし、足を動かし、体を汚動かしていると、いつしか波立っていた心が、静かに澄んでいくことに気づく

 

試しにやってみたところ、本当に怒りが静まっていきました。深い呼吸が、荒々しい感情を徐々に沈めてくれました。

呼吸が整うと、心も整い、少々のことでは惑わされなくなって不動の心が生まれる

のだそうです。

禅の心と断捨離は、似ている

「怒らない禅の作法」で、桝野氏はこのように語っています。

禅の心はとは、物事にとらわれず、今この一瞬を大切に生きること。執着を手放して日々満足して生きること。余計なものをそぎ落とすこと。シンプルに生きること

物への執着を手放すことで、心の執着も手放す断捨離の考え方と、禅の心は非常に似ているなと思いました。

怒りに限らず、煩悩から解き放たれることが、禅の心であるなら、私の心の中に、まだまだ手放すべき執着の塊があると感じました。

断捨離が進まないのも、心の中の執着の塊のせいです、きっと。

丹田呼吸を取り入れながら、心の断捨離も進めていきたいなと思いました。

 

文中引用元「怒らない禅の作法」桝野俊明氏

怒らない 禅の作法 (河出文庫)

怒らない 禅の作法 (河出文庫)