最近、10年日記を始めました。
なぜ9月という中途半端なこの時期にスタートしたかというと、今月、誕生日だからです。
区切りの良いタイミングで「誕生日プレゼント」という大義名分の下、長年買うかどうか迷い続けた日記帳を買いました。
10年日記は、やっぱり未来を灯す光だと確信した理由についてご紹介します。
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10年日記を始める前は不安だらけだった
毎年新しい年を迎えたり、誕生日が来て一つ年を取るたびに思っていたのは、「将来への漠然とした不安」でした。
10年後、私、どうなっているんだろう?
10代、20代の頃の10年後と40過ぎてからの10年後は意味が全く違います。
若い頃は、「この先、私は何かしら成長して何者かになっているに違いない」という思いがあったような気がします。
何も持っていなかったけれど、「私は大丈夫」という何の根拠もない過信があって、何も怖いものもなかったんですね。
しかし、40過ぎてからは、若い頃の過信がガラガラと崩れて、先行きが不安で不安で恐くなってしまったんです。
- 収入が途絶えてしまったらどうしよう
- 雇ってもらえる仕事なんてあるのだろうか?
- 年を取ったら、友だちなどできるのだろうか?
- 孤独になるんじゃないか…
- 身体は元気でいられるのか?
- 路頭に迷っているのではないか?
10年後なんて考えると、不安しか無いという状態だったんですね。
10年日記の効用
10年日記を始めて最初に分かったのは、10年は1日1日の積み重ねでしかないということです。ページを開いてぱーっと目の前が明るくなりました。
なぜなら、1ページに10年分の○月○日の空白があり、この空白は一日、一日の自分自身の意思と行動で何とかなります。
毎日、地道に行動したら、何とかなるんじゃないかという、若い頃に感じていたような過信が湧いてきたんですね。
この過信は、根拠のないものですから、非常に危ういものだというのは百も承知です。
しかし、年を取った分だけ人生の経験があります。この経験を上手く使えば、本当に何とかなるんじゃないか?と思ったんですね。
そしてこの過信っていうのは、今、生きる原動力になっています。
以前、90過ぎた私のおばさんが80代の妹に「あなたは、まだまだ若いから」と言うのを聞いて衝撃を受けたのですが、人間、今が一番若くて、この今を一歩一歩(1日、一時間、一分、一秒)を意識的に重ねていけば、何歳になってもとんでもないところまで行ってしまうのでは無いでしょうか?
私はまだ、90歳、80歳にもなっていないのに、漠然とした不安なんて感じてびびっている場合じゃないですよね。
こんな、生きる勇気をもらえた10年日記、3000円くらいしましたが、もう元を取った感じです。
10年後の未来をデザインして創る
10年日記、今は始めたばかりで、その日にあったことを書いているだけです。
何日か書いて気づいたことがあります。
日記を書いているときは自分の心と対峙しているんですね。
そこで、
決意とか
感謝とか
感動とか
そういう心の動きを毎日書き残していくことで、心のレッスンににもなるのではないかと思っています。
10年日記、10年続けたら、どんな私になっているのか?
途中挫折の可能性も大いにあるとみこんでいます。
それでも、10年後の私に会いたくなりました。