今年の7月より、こんまりさんの片づけノートを参考に、家中の片づけを進めて来ました。
そして、とうとう最終章の「思い出の品」の片づけに突入。
まずは、結婚前の思い出の品を片づけに着手。その「捨てる」基準と、なぜ、日記を捨てないのか?
実況中継を交えてご紹介します。
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結婚前の思い出の品
結婚前の思い出の品は、引っ越しして5年間。一度も開けられることなく段ボールの中でタイムカプセル化していました。
箱を開いたら、
高校の時の卒業アルバムと写真がごっそり。
中身を確認したら、「こんな写真まだあったんだ!!」
捨てたと思いこんでいた写真が出てきて感動したり、凄く若い頃の写真に「おぉ~こんな時もあったよな~」「これはいつ頃の写真だっけ??」なんて懐かしく。
昔の瞬間に入り浸ってしまい、「捨てる」という目的がすっ飛んでしまいました。
処分するつもりで開けた箱なのに、写真と一緒に心の中に閉じ込めていた思い出も一気に湧き出してしまうなんて。
「ふぅ~」
頭とココロをリセット。
目的は「捨てること」です。冷静に何を基準に「捨てる」のかを考えました。
こんまりさんやミニマリストたちの思い出の品とのつきあい方
ここで参考にしたいのは、こんまりさんはじめ、ミニマリストたちの思い出の品とのつきあい方です。
こんまりさん、筆子さん、やましたひでこさんなどは概ねこのようにおっしゃいます。
*****
思い出はモノでは残さない、心の中にしまっておけばいつでも振り返れる
思い出の品は捨てても思い出は消えない
過去のものを捨てなくては未来の場所がない
*****
確かに捨てても思い出は消えません。
ここ5年ほど、無くともまったく困りませんでしたから。
しかし、目の前の思い出の品をごっそり捨てるのは今の私にはムリです。
そこで今の自分が納得する「捨てる」基準を設けてみました。
捨てられない結婚前の思い出の品を「捨てる」基準とは?
今回はたった1つの基準を儲けました。
それは、「子どもに見られてもOKなものか?」
詳しくご説明します。
子どもに見られてもOKなものか?
子どもに見られてもOKかどうか?というのは、今後何かの拍子に私の結婚前の写真を子どもが見てしまった場合、母親である私自身の過去に衝撃を受けて、子ども自身のアイデンティティまで揺らいでしまうようなものは捨てる、ということです。
私自身の衝撃の過去というと大げさですが、例えば、見知らぬ男性と写っている写真を見て、その男性が当時の会社の上司であっても「母親は昔、不倫をしていたのではないのか?」と疑ったりされるようなものです。
少しでも子どもから疑いを掛けられるようなものは全て処分いたしました。
しかし、今回「日記」が残されてしまいました。
なぜ、日記を捨てられないのか?
この日記は、私が1人暮らしをしていたときに、悩み苦しんだときに考えをまとめるためにつけていたものです。
なので、私の黒歴史が文字というカタチで深く刻まれていますから、子どもが見てしまった場合、言い訳ができません。
ある意味、写真よりタチが悪いかも知れません。
それなのに、なぜ日記をたいそう大事に抱えているのか?
なぜ捨てないのか?
を心に問いただしたところ、
「一旦、見返して、自分自身を深く知りたい」
という答えにたどり着きました。
嫌な出来事や当時の気持ちなどは、さっさと忘れたいのですが、「日記」を通じて客観的に自分自身の考え方の癖などを見直し、自分自身を深く知ることは、これからの人生で重要なことかも知れない。
と考えていました。
遠くの知らない人を知るよりも自分自身を知る
私はこれまで、憧れの人や有名な人が「どんな人なのか?」知りたいと思って追いかけてきました。
その人の好みや行動、考え方など必死に取り入れてきました。
しかし、振り返って見ると、自分自身のことがあまりよく分かっていません。
その自分自身のことを知るための手がかりとして、「日記」は良い材料になると思ったのです。
振り返りたくない過去とも向きあいつつ、自分自身のホンネと向きあう。
そのお役目が終わったら「日記」もさっさと捨てます。
子どもに見られないうちに、こっそりと。
思い出の品は時間をかけてゆっくり捨てる
思い出の品は、緊急に捨てなくてはいけない状況で無い限り、すぐに捨てる必要は無いかも知れません。
じっくり向きあい、何度も思い出の品とセッションを繰り返し、徐々に手放していくと言うやり方もありだと思いたい。
ムリなく、確実に。
時速数百キロで進まなくても良し。
ゆっくりでも、毎日数ミリ前進していたら立派なもんです、きっと。
結婚前の思い出の品のビフォー&アフター
できれば毎年、何度も見返して徐々に少なくしていきます。
最終的には、棺桶に入れてもらいたいものだけを残すつもりです。