これから夫の実家に車で向かいます。
毎年そうなのですが、道中、頭の中で「ドナドナ」のメロディが勝手に流れて止まりません。
ある晴れた 昼下がり 市場へ続く道
荷馬車が ゴトゴト 小牛を乗せていく・・・
まさに、私も市場に連れて行かれる小牛の心境。運命に抵抗できないかよわい存在です。たった3~4日の滞在が重苦しい。
そして、帰ってくると必ず喧嘩。
今朝も、ちょっとした小競り合いをしました。
小競り合いの理由はこうです。
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夫が、突然、ぼそっと私に言いました。
「向こう帰ったら、俺のこと君付けで呼ぶの止めてくれ」「俺はおっさんなんだから」
私が義両親の前で夫を「君付け」で呼ぶのが、嫌らしく、以前にも言われており、それ以来、義両親の前では主人を「君付け」で呼んでおりません。
それなのに、いつの話しを掘り返してかこのような発言。
ただでさえ、目覚めたときから気持ちが重くて、「私はいつまで旦那の実家に一緒に帰らなければならないのか?」「できれば行きたくない」。
そんな気持ちをふつふつと煮えたぎらせて、イライラしていたのに。
そこに追い打ちをかけるようにして、夫は、大量の洗濯物を目の前にして私に言いました。
「何で畳まないの?」
え?私、朝6時に起きて、あなたの実家に帰省する準備しているの最中なのに、洗濯物を畳ませるなんて、どんな感覚をしているのかしら?
「悪いけど、手が空いているなら、やってもらえる?」
そう言い返してから、夫とは口を聞いておりません。
何で私が「悪いけど」なんて言わなくちゃいけないんだ、暇そうにしているなら洗濯物くらい畳んでよ!!!
理性に心が追いついていない
冷静になって考えてみれば、今の私があるのは、夫のおかげ。夫が在るのは、義両親のおかげ。その義両親に会いに行き、数日一緒に過ごして、親孝行をするのは、当たり前なのかもしれません。
しかし、私は、精神が未熟すぎて、頭で考えた領域に到達しておりません。頭では分かっても、心が反発しているのです。
やましたひでこさんの「夫婦の断捨離」にヒントがあった
ちっともごきげんになれない状況で、やましたひでこさんの「夫婦の断捨離」の一文を読み返してみました。
断捨離が目指すのは、1人の人間としての、自立、自由、自在を獲得したうえでの幸せ。そして、そこから生まれるパートナーや家族とのハッピーな関係性の構築です。
引用元:やましたひでこ著「夫婦の断捨離」
義両親と私の関係性
私は、やましたさんの言うところの、「1人の人間としての、自立、自由、自在を獲得」できていなかったのです。かよわい小牛のまま年だけ取ってしまったのですね。
そのせいか夫との関係も、年々悪くなる一方でした。
更に、義両親との関係性が全く構築できていませんでした、むしろ違う自分を演じすぎて、息苦しくなっていたなと。
義両親とのつきあいは、結婚してから、年に1度だけ夫と一緒に帰省する時だけ。
関係性どころか、私はできるだけ、義両親にとって影の薄い存在で、悪口を言われない程度に過ごせば良いというスタンスを取ろうとしており、どんどん距離を広げていました。
断捨離していくうちに、「新しい自分」を発見できるからかもしれない。そんなブログが集まっています。⇒断捨離でゆとり生活
夫婦の断捨離を始める
結婚して16年。
知らず知らずの間に私はかよわい小牛になっておりました。
その結果、夫との関係が悪くなり、義両親との関係すら構築でいておりませんでした。
やましたひでこさんの言う、夫婦の断捨離、すなわち、夫との関係性の見直しをするため、自立、自由、自在を一刻も早く取り戻さねばなりませんね。
義両親との関係も築かねば。
は!しかし、そんな私にでも今年は強い味方があります。
「fire10」を携えて、分身の術を使いこなし、身半分は娯楽を、もう一方の半身で、ご奉公するつもりで、気楽な気持ちで行って参ります。
とにもかくにも、相手にイラッと来たら、我が身をふり返せ。
ですね。