断捨離をしたら、人生が変化したという話を時々聞きます。
そういう話を聞くと、「怪しい」とか「スピリチュアル?」なんて毛嫌いしてしまうのですが、最近その理由が分かるようになってきました。
前置きしておきますが、私が断捨離して、凄い効果があったわけではありません。正直なところ、何も起きていませんし、生活や人生は断捨離前と何ひとつ変わっていません。
そんな私が「分かった」なんて、おこがましいにもほどがありますが、種明かしをしますと、やましたひでこさんの「自在力」を読んだからです。
それで、「なるほど!」と、ようやく腑に落ちたのです。(要するに、先に「答え」を見たんですね、ズルかったかしら?)
そして、私がなぜ断捨離しても何の効果も変化もないのかが分かりました。
ちなみに、「自在力」は、副題に「新・ココロの片づけ術」とあり、「断捨離のファイナルステージ」でもあります。
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断捨離は、ただ捨てることにあらず。関係性を問い直すこと
「断捨離する」というと、次々にものを捨てていくというイメージがありますよね。タンス丸ごととか大量の洋服や本とか。長年大事にしていたものや思い出の品など。
実際に、私も次々とものを断捨離していきました。
こんまりさんのやり方ですが、家の中のモノを捨てまくった記事はこちらです。⇒こんまりさんの「人生がときめく魔法の片づけノート」を実践、「トキメキ」が無くてもできた!レポートのまとめ - シンプルライフ物語
しかし、「断捨離する」とは、ただ単にものを捨てることではありません。
断捨離については、色んな定義があるのですが、やましたひでこさんは、その神髄をこう説明しています。
「断捨離とは、関係性の問い直しである」
あまりにも簡素なので、もう少し引用します。
モノ・コト・ヒト、何に対しても同様、常に焦点を当てていくのは、自分とその対象とか、今どういう関係性にあるか。
見定めるのは、「私」でもないし「モノ」でもない。関係性という、間にある、見えないもの
何となく分かったような分からないような解説ですが、私はこのように解釈しました。
「物事や人間関係など、自分自身に関わるもの全てに対して、それらは、今の自分とどういう関係があるのか?
関係性とは、見えないものではあるけれども、その関係性と言うものをひとつひとつ自分自身で見定めて行く」
そういうものだと思いました。
この関係性を見定めるには、この本のタイトルにもなっている「自在力」が必要になってくきます。
「自在力」については、後ほど説明します。
「いまの自分」とは何?
モノと向き合い、その関係性を問い直し、今の自分にとって「要・適・快」ではないモノはどんどん手放していく。これが断捨離の実践&入り口。
その過程で、手放したモノ、捨てたモノは、今の自分にとって関係性の薄いモノであったというのが分かります。
この断捨離を通じて「私が使いたいのか?」「今、使いたいのか?」と言う問いを続けながら繰り返しすことで、自分軸が太くなり、「現在」の自分の立ち位置がはっきりしてきます。
その結果、「いまの自分(私)」という輪郭がはっきりくっきりと浮かび上がってくるようです。
自分自身のことは、何となく、「私ってこうなのかな?」というぼんやりしたイメージがある感じで、実は自分が一番分かっていないものです。
しかし、断捨離を続けることで、「私ってこういう人なんだ」と、目の前に、突如として「私」が出現します。そして「私」としっかりと対面するのです。
否が応でも自分の姿を突きつけられるというのは、拡大鏡の付いた鏡で、毛穴やシワをまざまざと見せつけられるようで、ちょっと怖いですね。
だけど、勇気を持ってそれをやるんです。
捨てられないモノにこそ、自分が潜んでいる
「なぜか捨てられない」と感じるモノにこそ、自分という軸を作り、強化するための格好の材料
だと、やましたさんは語っています。
その捨てられないモノに対しても、「今、このモノと私は生きた関係なのか?」を問い続けます。そうすると、モノと自分との関係性が掴めてくるようになるそうです。
私で言えば、先日、断捨離した「ぬいぐるみ」。
プレゼントして頂いた方たちとは、もう関係性はないのに、「ぬいぐるみ」に愛着が残っていました。愛着が残っているのに扱いは酷く、思いと行動がかけ離れた状態だったのです。
ぬいぐるみについての記事はこちらです。⇒【断捨離】数十年、捨てられなかった、ぬいぐるみを泣く泣く処分した方法とは? - シンプルライフ物語
大事だと思いながら、実際は大事にしていない。思いと行動がちぐなぐ。こういう一面も私の輪郭として認めなくてはなりません。
*トラコミュ*
断捨離の参考になるブログがたくさんあります。⇒断捨離シンプル&ミニマムな暮らし
「自在力」とは何?
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さて、この本のタイトルにもなっている「自在力」。この言葉は、やましたさんの造語で、「自立」「自由」「自在」を組み合わせたものです。
「自在力」とは、人生をあるがままに生きられる力であり、断捨離を続けた結果、得られる力なのだそう。
「自在力」を得た状態を、やましたさんは、具体的に次のように語っています。
「運」という見えない流れに乗ることができ、であうべきタイミングで、知識、人間関係を得られ、生き方に革命を起こせる力。
そこで恵まれた良縁を享受し、悪縁に思えたものでさえも学びに変えられる知恵。
覚悟と勇気を兼ね備えた楽天家でありつつ、自分に、周囲に、社会にコミット(宣言・献身)し、期待や願望の次元を超え、希望を実現する力。
「自在力」にカタチはありません。見えないし、触れません。ただ頭で知識として知っているだけでは意味がないものです。
「自在力」とは、練習を重ねた末に到達する境地です。
例えば、ピアノなどの楽器は習った通りにやってもなかなか上手になりません。しかし、練習を積み重ねることによって、同じことの繰り返しのように見えて、たくさんのものを学び吸収していきます。
また、お料理もそうですよね。レシピ通りに作っても最初は上手くいかないかもしれませんが何度もやっていくうちに、美味しいお料理を作れるようになる。
「自在力」とは、生き方のレッスンと言っても良いかもしれません。
断捨離で得られる、センスある生き方とは「こうすればうまくいく」というコツや本質を瞬時に掴むことができ、それを生活に行かせる能力
断捨離を実践することで、それが生き方のレッスンに通じます。生きるセンスを身につけるのが、断捨離であり、その力が「自在力」です。
先ほどの関係性の見定めは、この「自在力」を使います。モノ・コト・人に対して「不要・不適・不快」な関係は、「自在力」が磨かれることで、瞬時に判断できるようになるのです。
*トラコミュ*
勉強になる断捨離ノウハウがいっぱいあります⇒断捨離でゆとり生活
現実を変えたければ、自分のココロを変える
断捨離が一貫して目指しているのは、「グズグズ・でもでも・もやもや」な私(他人軸)から、「スッキリ・きっぱり・サッパリ」な私(自分軸)への変化です。
他人軸で生きている間は、
依存心、依頼心、責任転嫁。
拒否と無理解と否定。
悩みを手放せず、感性が鈍った私。
無自覚で不始末で、先行きの見えない私。
というココロの状態にあります。
しかし、このような他人軸を卒業して、自分軸に変わると
自分への信頼、自己肯定感、私のことが好きな私。
他者への共感と受容。
考え抜く力と、豊かな感性。
意図的・自覚的で、始末がつけられる私。そして無限の開放感。
このようなココロの状態になります。
ココロの変化が現実の変化や断捨離の効果と、どう関係があるのか?
これが不思議なところで、人は、ココロが変わると現実も面白いように変化していきます。
今の現実は、ココロが作っていると言ってもいいくらい。
他人軸で生きている人には、ココロが他人の奴隷になっている状態ですから奴隷のような現実しか起きません。どんなにチャンスがあっても、「○○が悪い」と、他人のせいにしてしまいます。いつまで経っても現実は変わりませんし、悪化するばかりです。
しかし、自分軸で生きる人は、全てにおいて自分の責任で行動できますので、人の協力や支援も得て、運も味方してくれるようになります。現実もどんどん変わっていくのです。
*トラコミュ*
断捨離の参考にしています⇒断捨離暮らし
断捨離して効果のある人、ない人の違いとは?
断捨離は、目の前のモノやヒト、コトとの関係性を見直すレッスン。レッスンを繰り返せば繰り返すほど、上達し、人生の質も向上していきます。
これまで他人軸で生きてきた人は自分軸にシフトすることで、運の流れも変わります。
断捨離で、.かれ、結果的に人生が変わるほどの効果が起きるのです。
ただ捨てることだけを断捨離だと理解して、捨てまくっているだけでは、私のように現実は何も変わりません。
ポイントは、ココロの変化と成長であり、ココロと向きあいながら断捨離し続けた人だけが、断捨離の効果を得ることができます。
*文中の引用は全て「新・ココロの片づけ術 自在力」を元にしております。