シンプルライフ物語

子育てと自分育て家事、断捨離、片付け、ミニマリスト、宝塚などについてシンプルラフまでの道を綴ります

夫を断捨離したい妻たち。自由な結婚生活を送る人と、不自由な結婚生活を送る人の違いとは?

「一番、断捨離したいのは、です」

断捨離のやましたひでこさんの元に、片づけで相談に来る人たちの多くが、「家が片づかない」と言いながら、いつの間にか夫の不平不満、愚痴、あるいは強烈な批判や怒りにすり替わっているそうです。

心の奥で「夫を断捨離したい」と思っている妻は、凄く多いというのが現実。

そこで、やましたさんご自身が、断捨離目線で結婚の制度と夫婦の形を捉え直してみようという目的で書かれた本。

「断捨離したいナンバーワン、それは夫です」
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読みました。


やましたさんご自身が、いつもおっしゃるように、断捨離は、人を捨てるものではありません。なので、この本は、(残念ながら?)離婚を推奨する本ではありません。

断捨離目線で見た、新しい夫婦のカタチを追求している内容になっています。

  • 夫に不満を持っている妻は、どのような方向に向かえば良いのか?
  • 自由な結婚生活を送る人と不自由な結婚生活を送る人の違い

など。

ネタバレすれすれでご紹介します。

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 夫を断捨離したい妻たちの胸の内とは?

夫の不平不満、愚痴、強烈な批判や怒りを訴える妻たちを、やましたさんは厳しい目で見ています。

そのような妻たちを

忍耐妻は、あきらめのなかに沈む
我慢妻は、被害者意識を募らせる
不満妻は、夫を変えるべく攻撃し始める

などと分類。

不平不満の奥にある胸の内を見据え、更にその先にある、彼女たちも気づかない絶望を見抜いています。

その目的は、彼女たちを批判するためではありません。

夫のせい、という「他人軸」で苦しみ、もがいている妻たち自身が、自分の本当の気持に気づいて、自由になって欲しいからです。

そのような妻たちが不自由な結婚生活から逃れるためには、よほど酷い問題のある夫でない限り、夫を断捨離することでも離婚することでもありません。

まずは自分自身の心のあり方を変えていく、そして自分自身の力で自由な結婚生活に切り替えていきましょう、というのが、この本で一貫してやましたさんが語っているスタンスです。

結婚制度と夫婦関係は全く別物だった

不自由な結婚制度に縛られている妻たち。その結婚制度とは、そもそも何なのでしょうか?

彼らを苦しめている結婚という制度について、やましたさんがが古今東西、多種多様な結婚のカタチから考察し、結婚と夫婦について断捨離目線で解説しています。

結婚制度と夫婦関係の違いとは?

結婚と夫婦は、一緒くたに語られることが多いのですが、

「結婚=同居=夫婦」という思い込みが夫婦のあり方を窮屈に閉塞させいている

と見ています。

結婚というカタチに収まっていれば、または同居していれば、夫婦関係は良好なのか?というものではありませんよね。

結婚していても、何十年も同居していても、夫婦関係は破綻しているというご家庭も多いはずです。

結婚生活や夫婦関係は、そもそも制度や法律を超えたところにあります。

夫婦のコミュニケーションはテクニックではない

また、破綻した夫婦関係をどうにか取り戻そうとして、コミュニケーションスキルやテクニック、心理学などの知識に走る人もいるようです。

そんな妻たちをやましたさんはこのように語っています。

どんなに心理学の知識を持っていても、いくらコミュニケーションのスキルや知識を増やしても、それは頭の中だけで終わります。

 

それは、はやり、「家の中の混乱と家庭の混乱はセット」であり、

モノの散らかりとは、モノが溢れとは、自分とモノとの関係が良好ではないからこそ起きること。片づかない住空間はモノとのコミュニケーションが不完全だからこその結末。
もの言わぬモノとの関係を良好にさえていない自分が、意図・意思そして感情までも併せ持つ人間とのコミュニケーションをとれるものなのでしょうか

知識やスキル、テクニックよりも、目の前にあるモノとの関係を何とかしましょう、ということですよね。

家の中にあるモノとの関係が、ごちゃごちゃなのに、どんなに心理学やコミュニケーションなどの知識をつけたところで、モノ以上に高度な人間と上手くやれるはずがないというのは、客観的にみればもの凄く当たり前のこと。

私も、家がごっちゃごちゃしていた時は、家族関係が上手くいっておりませんでした。身の回りのモノを大事にしないどころか、身近な家族への関心も薄かったように思います。

断捨離して、自分が選んだモノを大事にすることで、家族関係も良好になってきたように感じています。

住空間と夫婦の関係について

夫婦関係は、その家の住空間に映し出されているようです。

息詰まるような住空間には行き詰まっている関係の妻と夫がいる
息苦しい住空間にはどうしもなく苦しんでいる夫と妻がいる
荒み淀んだ住空間には何とも形容しがたい関係の妻と夫がいる

夫婦が暮らす住空間は、夫婦関係そのもの。

要らないものや使えないモノ、ずっと使っていないモノなどに囲まれた夫婦の暮らしは、結婚制度という骨だけで支えられている、不自由で窮屈でしかないのかもしれません。

あぁ恐ろしい。。。

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夫婦関係に限らず、人間関係のポイントは「間」

このような不自由で窮屈な住空間を脱却するポイントは「間」だそうです。

夫婦関係に限らず、人間関係は「間」を意識する

どんな人間関係であれ、その関係を良好に保ちたいと思うのであれば、「間」を意識する必要があります。この場合の「間」とは空間の「間」と時間の「間」、つまり距離と頻度と考えて下さい。あるいは空間と時間の密度と考えても良いでしょう。

人間関係は近すぎても離れすぎても、頻繁に顔をつきあわせても何年も音沙汰なしでも、上手くいきません。

絶妙な「間」があってこそ良好な関係が保たれます。

その「間」をつくること、家という空間とモノとの「間」を取り戻すことから始めましょうというのがやましたさんからの提案です。

断捨離とは、「間」の演出

そもそも、

断捨離とは、そんな間の創出。その積み重ねがやがて時間の「間」となり、言葉の「間」となり、ふれあいの「間」となり、人間関係にその時その場に最適な「間」を持たせることになるのです。

 

断捨離とは、空間のクリエイト 

 断捨離は、「捨てる」ことと認識していましたが、断捨離は、人間関係にとって大切な「間」を作り出すものだったということを今回初めて知りました。

やましたひでこさんは、何度もおっしゃっていたかもしれませんが、なかなかそこまで理解が進まず、「断捨離=捨てること」という浅い認識で止まっていました。

今後は、更にものを捨てることで、空間ができる、この空間こそが断捨離の妙味を楽しみたいと思いました。

そして、この空間とは舞台

夫婦の住空間である家を「舞台」とする認識は新しいですよね。
確かに、家の中は、楽屋ではありません。人と人とが暮らす舞台です

住まいは暮らしの舞台

日々暮らす自分の家は、舞台のようなものだとやましたさんはこの本で語っています。

私たちが毎日暮らしている住まいは暮らしの舞台であり、人生の舞台なんですね

自分が作り上げた舞台空間にまさにふさわしい共演者が必ず現れてくるもの

素晴らしい人を自分の人生に招き入れたいのであれば、まずは素敵な舞台、即ち素敵な空間作りからですね。高い意識のエネルギーは高い意識を持つ人を引き寄せます。

 

ここで、なるほどーと思いました。
自分自身が暮らす住空間を整え、更に、自分自身の意識を整えることで、自由に暮らしを楽しめる、更に、これまで不自由だと感じていた結婚生活からも自由になれるのですね。

自由な結婚生活を送る人と、不自由な結婚生活を送る人の違いとは?

自由な結婚生活を送る人と不自由な結婚生活を送る人との違い。

それは、「生きづらさ」にあるようです。

この生きづらさはどこからやってくるのかというと、これまで犯人だと思っていた一緒に暮らす夫ではなく、不快に鈍感な自分自身だったのです。

人間として動物として不快なできごとに異を唱えることなく、不快な環境に甘んじ続けられるならば、思考も感情も感性も萎えていくだけ。つまり生きづらさだけが残り、生きづらさの理由も分からず、快も感じることができない

自分自身が、今「快」なのか「不快」なのかも分からずに生きていることが、生きづらさにつながるようです。


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自分自身が「快」(ごきげん)でいるためには、他人軸から卒業し、「自分軸」で生きることが何よりも大事ですね。

「自分軸」で、生きられるかどうかが、自由な結婚生活を送るのか、不自由な結婚生活のままでいるのかのカギ。

夫を断捨離する前に、自分自身の「不快」に鈍感になるほど「他人軸」で生きてきた心を断捨離すること。

具体的な方法はやはり、家の中のモノと向きあって、「間」を作り出していくことで見えてくるのです。

 

*文中の引用元:「断捨離したいナンバーワン、それは夫です」やましたひでこ著

 

断捨離したいナンバーワン、それは夫です

断捨離したいナンバーワン、それは夫です