ものを捨てられず、ブログで汚部屋を公開している私。
信じてもらえないかもしれませんが、実は私、元々ミニマリストでした。
初めて独り暮らしをしたとき、私の持ち物は、布団と下着と数着の洋服。そして鍋とフライパンがひとつずつ、茶碗とお椀、箸がひと組、小さな炊飯ジャーと折りたたみのテーブル、数冊の辞書のみでした。
旅行に行くよりも少し多めの荷物だけだったので、大きな布団袋に全てを詰めて実家から宅急便で新居先に送り、あっという間に引越は完了。
当時住んでいた四畳半の部屋には、冷蔵庫もテレビも洗濯機もありません。家具なんかもありません。洋服は部屋に備え付けてあった押入の上の段に、布団は下の段に入れていました。
途中で不便を感じて、カラーボックスを購入。その中に、鍋とフライパン、食器を収納していました。
家からの仕送りは、毎月2万円。
1.5万円ほどが家賃と光熱費、コインランドリーなどの利用代。
残りの5千円ほどが食費になりました。
実家から定期的にお米と野菜を送ってもらいましたので、何一つ不便を感じていませんでした。
そんな私が、なぜ汚部屋住人になってしまったのか?を振り返り、考察しながら、道半ばではありますが、シンプルライフへにたどり着くまでの道を探って行きたいと思います。
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コンプレックスだらけの寮生活
初めて住んだ場所は、お風呂とトイレ、台所は共同の女性専用の寮でした。
ド田舎の高校に通っていた私は、無謀にも大学を受験しましたが敢えなく失敗。浪人する覚悟もなく、専門学校に通わせてもらうことになりました。
専門学校は、実家から100キロほど離れた県庁所在地にあり、電車やバスの便も悪い場所にありました。それで独り暮らしをさせてもらうことになったのですが、「安くて安全な場所」という親の条件で、女性専用の寮に入りました。
その寮は、一階が大家さん、二階が寮になっていて7部屋ほどありました。部屋の大きさで、家賃が決まり、私は一番安い家賃だった北西側の狭い部屋に住むことになりました。
その部屋は、小さな窓が北側にあり、太陽の光がほとんど入らず、昼間でも電気を付けないと薄暗く、納戸のような雰囲気でした。気分まで塞ぎがちになりそうでした。
その寮で生活をする私以外の人は、みんな、冷蔵庫と電子レンジ、テレビを持っていました。
当たり前のものを持たない私を、他の人たちは最初、とても驚いていましたが、「暑くなったら、うちの冷蔵庫使ってもいいよ」とか「観たい番組があったら一緒にテレビを見よう」とか、優しく声をかけてくれました。
みんなとても親切だったのですが、私は見下されているように感じていました。
私の心の中はこんな感じでした。
「田舎者で、あか抜けないからバカにされている」
「大学受験に失敗したからバカにされている」
「貧乏だからバカにされている」
元々コンプレックスの塊でしたから、みんな自分をバカにしていると思っていて、誰にも心を開けないでいたのです。
いじめと寮生活
寮で共同生活をする人たちは親切な人ばかりと思っていましたが、いじめがありました。
寮生の中に、関東出身の子がいて、その子がいじめのターゲットになっていました。
彼女は、4人兄弟の一番上で3人の弟がいて、表向き、とてもしっかりしているように見えましたが、部屋がいつも凄い状態なのです。
洋服や食べ物、鍋釜、お皿、レジ袋などが部屋中に散らかり、足の踏み場もありません。
彼女は部屋が汚いだけではなく、彼女がお風呂に入った後、お湯が汚れているということで、他の寮生に嫌われていました。おそらく、身体を洗ったタオルをお湯の中に入れていたのでしょう。私も、何度か、彼女の後にお風呂に入ったことがあるのですが、髪の毛やほこり、油のようなものがたくさん浮いていて、そのごみを取るのがとても大変。お湯の中に入る気がしませんでした。
とにかく、「汚い」「不潔」という理由で、彼女は嫌われ、陰口を言われるようになり、無視され、いじめられるようになっていきました。
その彼女は、入学早々に彼氏ができて、彼氏とべったり。部屋には夜、寝るために帰ってくるだけ。週末も彼氏といるので、部屋を片付けている暇などなかったようです。
彼女の彼氏は、3浪ほどしていて、それでも大学受験を諦めず、翌年も受験するという仮面浪人生でした。
そんな中で、私の中で転機ともなったある事件が起きました。
続きは次回(来週の日曜日)にお送りします。
続きはこちらです。⇒なぜ、私はミニマリストから汚部屋住人になってしまったのか? 転機|シンプルライフへの道 - シンプルライフ物語