シンプルライフ物語

子育てと自分育て家事、断捨離、片付け、ミニマリスト、宝塚などについてシンプルラフまでの道を綴ります

なぜ、私はミニマリストから汚部屋住人になってしまったのか?満たされない欠乏感|シンプルライフへの道 - シンプルライフ物語

たった一人で挑戦した大学受験。
緊張度が高まり、センター試験直前になると、幻覚や幻聴、被害妄想に襲われ、夜グッスリ眠れなくなってしまいました。
誰にも相談できずに、泣き言も言えず、迎えたセンター試験と二次試験。結果を待ちました。

スポンサーリンク

 

努力の末の劣等感

結論から言うと、第一志望の大学は落ちました。第二志望というか、二次募集で受けた大学に何とか引っかかったと言う結果でした。

ここまでのいきさつはこちらからお読みいただけます。⇒なぜ、私はミニマリストから汚部屋住人になってしまったのか?|シンプルライフへの道 - シンプルライフ物語

行き先が決まり、ほっとできたのもつかの間。私はまたどんよりとしたものを抱え込んでしまったことに気づきました。

私の心の中の憂鬱の種だった、大学受験の失敗による挫折感と劣等感、この憂鬱に悩まされ、大学に合格したらこの憂鬱から解放され、自信が満ちてくるかと思っていたのですが、むしろ逆でした。

第一志望の大学を落ちたということで更に劣等感が強化されてしまったのです。

また、自信に満ちた大学生活を送れるかと思っていたのですが、現役合格したひとつ下の同級生に対しても劣等感を感じていました。

貧富の差

ひとつ下の同級生たちは、私のような田舎者でも知っているような有名な進学校出身者が多く、会話の中に知性をチラチラ感じさせていました。また、親の転勤で海外に住んでいたため、何カ国語かを話せる人もいました。幼い頃からバレエをやっていて、立っているだけで華やかな存在感のある人もいました。

彼らは、育った環境で自然に身につけた教養を醸しだし、堂々として自信に満ちているように見えました。

そういった恵まれた環境に育った同級生は、ほとんどがお金持ちです。家賃の高いマンションに一人で暮らし、ブランドものの洋服や靴、バックを身につけ、自由に使える親のクレジットカードを持っていました。車も持っていて、好きなように行動していました。

そういったお金持ちの同級生は、「お金がないから~できない」ということは一切なく、全てにおいて自由でした。

国内旅行したければ、北海道だろうが沖縄だろうが気楽に出かけ、海外旅行したなれば、気楽に飛行機で飛び立って行きました、

もちろん、全ての学生が恵まれた環境だったわけではありません。私のように家が貧しく、仕送りもほとんどもらっていない学生も多く、彼らは生活費と学費を自分で稼いでいました。

貧しい環境で育った学生は、私がそうであるように、「お金がない」理由で行動に制限をかけられ、アルバイトで時間もなく、不自由な生活を強いられていました。

お金がある人生とない人生が、天国と地獄ほどの差があると痛感しました。

私は育った環境にまで、劣等感を持ち、もっと金持ちに生まれたかったと親を恨むようにすらなっていたのでした。

満たされない欠乏感

大学を卒業して社会人になってからも、私は自分自身の環境に不満を持ち、外に何かを求めていました。

しゃにむに働き、そのお金でバレエを習ったり、本を買い込んだり、セミナーに参加したりしました。

しかし、そのようなものにどんなにお金を使っても、何も変わりません。努力したつもりになっても、何も変わらないから、どんどん自信を失っていきました。

自信を失うと、自分のことを粗末に扱うようになります、そして自分がお金を出して買ったものも粗末にします。このような粗末の連鎖が汚部屋になっていったと言っても良いかもしれません。

汚部屋になったのは、だらしない性格とか、面倒くさがりやというような面もありましたが、自分の現状に常に不満だったというのが大きな原因だったと今は推測しています。

現状を受け入れ、小さな幸せを見つける

失敗と挫折により、ずっと自分自身の現状に不満で、自分の足りないものばかり見てきました。その結果が汚部屋となってしまいました。

上を目指し、挑戦したのは悪いことでは無かったと思います。
むしろ、よく頑張ったよなと当時の自分の挑戦を誇らしく思うこともあります。ただ、現状をずっと受け入れられないまま努力してしまったので、その頑張りが報われず、空回りしてしまいました。頑張れば頑張るほど自分自身を傷つけていました。

色んなことが重なってようやくその努力が不毛だったことに気づき、今はものを捨てることで、自分の心を軌道修正しているところです。

今後は、置かれている環境を受け入れ、現状を認め、素の自分の姿に目を向けていこうと思っています。

自分の心を外からの刺激で満足させるのではなく、身の回りの小さな幸せで満足させながら、ミニマリストへの道を歩いています。

このシリーズはここで一旦終了いたします。

これまで個人的なお話にお付き合い頂き、ありがとうございました。