先日、捨てられない本を、”ある方法”で断捨離しようとしました。
そして、その方法を実行しようとしたところ、敢えなく失敗。
捨てられなかった本を前に、やましたひでこさんの本を改めて読み直してみました。その本に書かれた「執着」についての考え方に「はっ」として、もう少し捨てられない本と付き合ってみることに決めました。
捨てられない本を断捨離しようとした”ある方法”と、私が「はっ」とした執着の考え方についてご紹介します。
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捨てられない本を断捨離しようとしたある方法とは?
手元には置いて起きたけれども捨てられない本が何冊かありました。しかし、大きな本棚を捨てましたので収納場所がもうありません。
私は今回、苦肉の策として、図書館に寄贈するという計画を立てました。本を図書館に寄贈するメリットについての記事はこちらで紹介しております。⇒本を捨てたくない、だけど手放すことに決めた苦肉の策とは? - シンプルライフ物語
そして数日前。。
図書館に寄贈しようと、私の捨てられな本を持参して、勇み足で図書館に向かいました。そして、担当者にそれらの本を差して言いました。
「この本を図書館に寄贈したいのですが」
担当者は、私の本を見て申し訳なさそうに答えました。
「せっかく持参して頂いて申し上げにくいのですが、図書館では、蔵書が増えている状況です。市民の方々からのリクエストがあれば新しい本も購入しておりますので、本を置くスペースがどんどん無くなっています。市に関する資料や借りたいという希望者が多く、人気のある本であれば、お引き取りいたしますが、それ以外の本につきましては、お引き取りができかねます」
拍子抜けしている私を見て、その担当者は続けました。
「図書館では、本の寄贈を申し出られた方々に、市の文化財団をご紹介しております。市の文化財団では、そういった本を古本屋さんに売り、財源とさせて頂いています」
なんだ、市の文化財団に持ち込んだら、古本屋さんに結局売るんだ、だったら自分で売った方が良いよな、なんて考えて、「分かりました、ありがとうございます」と行って、せっかく持参した本を持ち帰って来ました。
実は、本を寄贈するという建前で、実は捨てられない本を図書館の本棚に置いて、私物化する計画を立てていたのです。
一般市民が「図書館の私物化」というズルイ計画を実現させるなんて、そもそも道理に反していますよね。世の中そんなに上手い話しはありません。
捨てられない本には、自分で潔くケリを付けないといけないのです。
なぜ、捨てられないのか?
なぜ、捨てると痛みを伴うのか?
痛みを伴うことで、自分自身の執着に気づく、まさしくこれが断捨離なのかと思いました。
私が「はっ」とした、やましたひでこさんの「執着」についての考え方とは?
- なぜ、その本を捨てられないのか?
- その本にある私の中の執着は何か?
- そもそも執着を捨てるって何だろう?
そんなことを考えながら、やましたひでこさんの「自在力」という本をパラパラと読み直してみました。
そこで、ある見出しに釘付けになっていました。
その見出しとは、
執着は磨き上げていくもの
これまで、執着は手放すものだとばかり考えていました。しかし、磨き上げるものとは何だろう?
と、その部分を丁寧に読んでみたら、このように書いてありました。
人間が生きていく限り、執着、所有欲と背中合わせ。否定するのではなくて、むしろ洗練させていくもの。この洗練させていくというのが難しくもあり、同時に面白いことでもあります。
「執着を洗練させていく」という考え方に、はっとしました。
何だ、そういうことか。
そうなると、私の執着とは何か?
と、改めて手元の捨てられなかった本を眺めてみると
- 神話、
- 言い伝え、
- 普遍的な真理
そういうものに執着していると気づきました。
断捨離は、自分の心の中を再発見ができます。⇒断捨離してますか?
執着こそが生きる原動力!
今回、再発見した自分自身の執着とこの先も付き合い、磨き上げて行くという領域まで到達したいな、という新たな野望を抱いたのです。
この執着こそが、これまで私の生きる原動力になっていて、今後もしばらくお世話になるのでしょう。
執着は、生命力を促すエンジンで、上手にお付き合いしていくことで、何かしらの道が開けて行くのかもしれませんね。
*本文中の引用は、やましたひでこ著「自在力」を参照しております。